Monday, December 8, 2014

ネコゲノム解析から考える【1】

”家畜”とは何か? 人によって様々な定義がある。野沢謙 • 西田隆雄による名著”家畜と人間”(1,981年、出光科学叢書)では、”家畜(domestic animal)とはその生殖がヒトの管理(control)のもとにある動物である”と冒頭(p.3)で定義している。単に人に飼われているだけでは不十分だということである。これが分子生物学が応用される前の、世界のフィールドを見てきた碩学による家畜の定義である。

ただし家畜の中でもネコの事情は少し異なる。ネコは生殖がヒトによって管理されておらず、他の家畜に比べると一段階前の状態 "semidomestication" にあると思われる。この書によると、ネコは未だに"餌付け”の段階にあるというわけである。これは我々一般人の感じ方とよく一致している。


家畜の属性として種々の性質が列挙できると思われるが、それらはその家畜や品種の特性として代々維持できる。すなわちその家畜の持っているゲノム(あるいはDNA)にその理由が”書いてある”はずである。当然それらは分子生物学的に違いが明らかにされるはずである。

家畜のゲノム研究は、第一に有用遺伝子の同定、次いで家畜化を成立させた遺伝子変化の同定、この二つの疑問に答えるべく行われている。最近のゲノム解析の潮流に乗って、イエネコ(Felis silvestris catus)のゲノム配列が決定された [Montague et al., 2,014]。これを野生ネコ(Felis silvestrisだがcatus以外の亜種)と比較することによって、ネコが ”家畜化domestication” するのに決定的であった遺伝子変化を探ろうというのである。この研究はワシントン大学(セントルイス、通称WashU)を中心とするグループにより行われた。ちなみにWashUはゲノム解析の分野では世界の先端にいる大学の一つである。これらの研究から、分子生物学時代の”家畜の定義”と新たな家畜の作出(”新家畜”)の可能性について考えてみたい。

考古学的証拠(キプロス島の遺跡)から、ネコは少なくとも9,500年前にヒトに飼われていたという。ヒトが農業生産を開始すると同時に飼育が始まっている。貯蔵穀物を食べるネズミなどの害獣退治のために重宝がられのだ。

このネコゲノムの研究で最初に解析に供されたのはアビシニア種のネコで、ゲノムシークエンシングの結果がウシ、トラ、イヌ、およびヒトのゲノム解析の結果と比較が行われた。これによってネコ族そのものの成立の経過を探ろうというのである。その結果、ネコ族のゲノムでは多数の遺伝子の変化が比較的短期間に起こったことが示された。これらの多くは肉食への適応と、狩りの行動に必要な遺伝的変化であった。

さらにネコの家畜化の過程で起こった遺伝子変化を明らかにするために、異なる品種22頭のイエネコのゲノムと2頭の近東の野生ネコ、および2頭の欧州の野生ネコのゲノムとの比較がなされた。その結果、少なくとも13遺伝子に家畜化に伴う変化が見られた。注意すべきことは、ここで”変化”と謂っているのは、遺伝子が明らかに”機能増強”あるいは”機能喪失”しているような、きわめて明確な変化ではない。

家畜化されたネコは正常に発生し、かつ個体としての機能を営めるので、見出された遺伝子の変化はいずれも僅かな機能変化を起こしていると考えられる。したがって、分子遺伝学的にはこれらの変化は”多型 polymorphophism” として認識される。本論文の著者らは、イエネコに特徴的に見られるSNP (single-nucleotide polymorphism)" を持つ遺伝子をリストアップしたのである。

興味を引くのはある種のグルタミン酸受容体 (GRAIA1) の変化である。GRIA1遺伝子のノックアウトマウスは、恐れに対する反応や褒美の餌で促される学習能力が低下するという [Merdith et al., 2,011]。したがって、イエネコではこの遺伝子の機能に何らかの修飾がなされている可能性がある。イエネコに見られたSNPが機能的にどのような意味を持っているかは、現時点では明らかではないが、調べたすべてのイエネコがこのSNPを持っていたことに意義を見出しているのである。

(続く)