Sunday, May 31, 2015

中世芸能講義「勧進」「天皇」「連歌」「禅」、松岡心平著、講談社学術文庫、2,015年(読書ノート)


 たまたま私用で札幌に行った時に書店で見つけた。この本が目に飛び込んできた理由は著者が高校の先輩でかつてお話ししたことがあったからである(と言っても何十年も前の話だが)。

 買ってから気づいたのだが、本書が出版されたのは今年の5月8日であり、書店に並んで僅か2週間で購入したことになる。普段日本語書籍から離れているのでこのようなことは実際珍しい。さて、著者は能研究の第一人者である。著者が能に目覚めたのは、東大文科1類在籍中に能の舞台を見て衝撃を受けたからであるという。このため著者は法学部には進学せず、能研究者を志すべく文学部に進学したという。

 本書は岩波市民セミナーでの講義に加筆して本にしたもので、4つの章から成っている。それらは「勧進による展開」、「天皇制と芸能」、「連歌的想像力」、そして「禅の契機」である。もとより私は中世芸能についての知識は、能が室町時代に成立し、そこで語られる物語の多くはその前の時代に成立した平家物語に取られているということを認識している程度である。さらにその能に至ってはこれまでに僅か3回しか舞台を見たことがない(そのうち一回はメンフィス大学!での舞台であった)。この4章のうち私が最も強い印象を受けたのは「連歌的想像力」である。そもそも連歌とは一体どういうものなのか? 五七五に(他の人が)七七を付けて完結するのみではなく、七七にさらに五七五、七七、五七五……と次の句を付けて展開し、おおよそ百句をもって一作品とすることが一般的となる。このような営みが連歌であるが、連歌は中世の文芸であるという。平安時代の和歌が主に貴族階級に担われていたのに対し、連歌は武士やさらに身分の低い人々の参加を許すものであったという。方々で連歌の催しがあったが、なかでもひときわ規模が大きく注目を集めたのは花の下連歌という、桜の花の下で行われる連歌会であったという。中世のお花見はなんと優雅であったことか! この章における著者の記述は特筆ものである。連歌会における人々の動き、動作のみならず、こころの動きまでも、みごとに活写しているのである。もとよりこのような想像にもとづいた記述は学術論文には書けなかったであろうが。

 最後の「禅の契機」の最後の方では、禅への傾倒が世阿弥における能役者の舞台上の動作を決定付けたとする。現在に伝わる能の演技(または舞)の仕方が、動作のあまり大きくない、腰を中心とした動きに変化するのに禅が重要な役割を担ったと推定している。この能の動作の仕方はおよそあらゆる日本の芸能に影響を与えているので、この記述は大変重要である。

 能にせよ連歌にせよ、中世の芸能(文芸)の一つの特徴はそれが武士によって担われていてその一つの中心が鎌倉であったということである。著者は元弘の乱(1,331年)での新田義貞による焼き討ちがなければ、その後の関東の文化は随分違ったものになっていたであろうと惜しんでいる。まあ、これについては重衡の南都焼き討ちとかもあるのだが。

 本書はトピックに絞って論を進めていて、かつ連歌などの文例も平易に解説してあるので読み通すことはさほど困難ではない。おそらく中世史、あるいは中世芸能に関する基礎知識を持って読むと、さらに面白い書物であろうと思われる。

Wednesday, May 13, 2015

ゼブラフィッシュで癌を作ったのは誰か?

 ゼブラフィッシュzebrafish, Danio rerio は脊椎動物で機能している様々な遺伝子を効率よく同定するためのモデルとして登場した。

魚類の実験動物としては1,990年代に出てきたフグpufferfish, Fugu rbripes がある。フグは脊椎動物なので、ヒトを含む哺乳動物の発生と個体維持に関わる大部分の遺伝子を持っていると予想された。しかし総ゲノムサイズが約400 Mbで、ヒトゲノムの約4分の1の大きさである。すなわち非コード領域がたいへん小さいのである。このことから、フグのゲノムの塩基配列をひたすら読んでゆけば、ヒトゲノムを読むよりは効率的に総遺伝子を同定できると考えられたのである。

このプロジェクトを始めたのは後年(2,002年)ノーベル賞を受けたSydney Brennerである。BrennerはすでにC. elegansの実験動物化を達成していたが、この線虫は脊椎動物はおろか、昆虫などの節足動物と比べてもある意味でかなり下等な動物であることがやがて明らかとなった。結局C. elegansは脊椎動物のモデルとしてあまり役に立ちそうにないということになったわけである。そこでフグである。がしかし、関係者の予想に反して当時ヒトゲノムプロジェクトが大変なスピード進行し、2,000年にはそのドラフト版が、さらに2,003年4月にはその完成版が公表されてしまったのであった。結局フグのゲノミクスにおける役目はほとんど自然消滅するという憂き目にあったのだ。

フグのほうに話が逸れてしまったが、ゼブラの研究上のメリットは変異原物質で突然変異を誘発し、その遺伝子座位を決定し、最終的にその現遺伝子を同定する流れが迅速にできるということにあった。特別な手法を用いると、ホモ接合の変異体が簡単に得られるのである。特に身体が透明なので特に造血系の研究には適しているとされている。

私の米国での師匠のTom LookがまだSt. Jude病院にいた頃にゼブラフィッシュの先覚者であるLeonard Zonを講演のために招待した。その折にゼブラについてTomのオフィスで話をしたことがあった。私もその場に呼ばれたので二人のやりとりをそばで聞いていたのだ。そのときTomは“ゼブラで何をするのがふさわしいか?”とLeonardに訊いたのである。Leonardの答えは、“器官形成organogenesisだ。癌はよくない。”と明確に答えたのだ。Tomはそれを聞いたときに、特に表情を変えずに“ふうん”という感じで特別な考えを言わなかったのだ。これが1,999年のことである。

2,003年2月のサイエンスにゼブラフィッシュでMYCT細胞白血病を作成する論文が発表された (Langenau et al., 2003)。これはDana Farber Cancer Institute (Boston)からの仕事で、責任著者はThomas Lookであった。これがゼブラで作られた最初の癌である。

さて、あのときの二人のやりとりは何だったのだろうか?

Saturday, May 9, 2015

Alternative Lengthening of Telomeres (ALT) に関するメモ

 Alternative Lengthening of Telomeres (ALT)とは、主にヒトがん細胞においてテロメア合成酵素telomeraseを用いることなくテロメアが維持される現象である。(telomeraseを用いないでテロメアを維持する生物種は多数ある。)ALTの性質をもつがんは全体の約5%程度とされる。但し、がんの種類には偏りがあり、良く知られているところでは骨肉腫(osteosarcoma)や膠芽腫(glioblastoma)がある。

 がん細胞がALTを獲得するメカニズムは長らく不明であったが、homology-dependent recombination (HDR)が必要であることは予想されていた。ここ数年間で、ATRXAlpha thalassemia/mental retardation syndrome X-linked)遺伝子の失活がALTの成立に必須であることが確定するに至った。

1. ALTがおこるためにはATRXの変異が必要である。
 最初にALTATRXとの関連に着目したのはJohns Hopkinsおグループである (1)。膵神経内分泌腫瘍PanNETsではATRXまたはDAXXの変異が高頻度に見られるが、これらの検体についてテロメアの状態をFISHで検出したところ、ATRX/DAXXの変異があるもの(またはATRXのタンパク発現の消失したもの)では強いテロメアシグナルが検出された。強いテロメアシグナル、すなわち長いテロメアはALTの特徴の一つである。ATRXDAXXは複合体を形成してテロメアのクロマチン構造の維持に関わっているとされていた。ATRXのテロメアへの関与を支持するデータは他にもあり、このことからALT Starr Cancer Concrotium研究グループはALTを示す22細胞株について、ATRX変異またはタンパク発現の消失を調べた (2)。結果はすべての細胞株でATRXの失活が起こっており、このことがALTが引き起こされるのに必要であることが強く示唆された。同時にALTが著しいゲノムの不安定性を伴うことも明らかとなった。
 
2ALT細胞に対してはATR阻害剤が有効である (3)
 最近の報告によると、ALT細胞ではテロメアの一本鎖DNAssDNA)へのRPAタンパクの結合がS期を過ぎても解消されないことが判明した。RPAにコートされたssDNAHDRを誘発すると考えられているので、この現象がALTと強く関わっている可能性が考えられた。さらにATRAtaxia telangiectasia and Rad3 related)を阻害してやるとDNA断裂が起こり細胞死を起こすことがわかった。ATRはDNA複製時の異常によって活性化され、最終的にDNA複製の完遂に関与しているタンパクである。このATR阻害による細胞死はALTを示す細胞に特異的におこる(すなわち低濃度で効く)。ここで問題は、ATR阻害剤の特異性である。DNA損傷、とくに二本鎖断裂によって活性化されるATMAtaxia telangiectasia mutated)とATRはよく似た分子である。これまで開発されてきたATR阻害剤と称するものはたいていATMも阻害するのが常であった。この研究で用いられているVE-821は最近ひろく使われるようになっている (4)。この化合物はこれまで知られているものよりも特異性が高いと思われる。

 ATMATRともこれまでにかなりの研究の蓄積があるが、ATRを阻害したときの大きな問題点は、正常細胞でATRが阻害された場合、細胞死が見られることである。したがって、がん細胞を標的としたATRの阻害は重篤な副作用がおこることが予想される。この論文ではALT細胞に特異的に効くということなので、その濃度では正常細胞に対してはさほどの毒性はみられないだろう。

 臨床試験の進展が期待される。

3.さらなる疑問?
 少数のALT細胞株ではATRX遺伝子の変異が見られない。したがって、これらの細胞ではATRXの失活を介さない経路でALTが成立していると思われる。この経路は何か?
 ATRX変異が直ちにALTを促すわけではない。培養系でも実際にALTの性質を示すためには時間を要するのである。したがって、別の遺伝子の変異が必要だと思われる。この(これら)の遺伝子は何か?

追記
 Ronald DePinhoのグループが作成したテロメアRNAのノックアウトマウスをホモ同士で交配してゆくと、やがてテロメアの短縮化が進み、5-6世代頃になると個体レベルで老化のフェノタイプが発現してしまう (5)。ここにp53 nullアリルがホモまたはヘテロで入っていると上皮性の腫瘍である癌腫が多発する。ふつうマウスで好発する腫瘍は肉腫(間葉系由来)が多いので、ここで初めてマウスでのヒトの癌腫のモデルができたことになる。これは画期的な業績と思われた。私はこのようなテロメア活性がないマウスに生じた腫瘍はすべてALTによるテロメア複製能を獲得しているものと理解していた。このマウスで起きる現象は、ヒトにおけるALTが肉腫に好発するのと対照的なので、興味深い現象であると考えていた。あるときALTで重要な発見を続けているRoger Reddel (University of Sydney)と話をしていたときに、このマウスの話が出た。彼はこのマウスの腫瘍は必ずしもALTによるものとは限らないと言っていた。話はそこで中断してしまった。このマウスの腫瘍(癌腫)はどうやってテロメアを維持しているのだろうか?




Wednesday, May 6, 2015

薬剤耐性遺伝子のエコロジー:メタゲノム的アプローチ

メタゲノムの話をもう一つ。

一昨日研究所内のセミナーで、耐性遺伝子のエコロジカルな挙動に取り組んでいるワシントン大学(セントルイス、通称WashU)のGautam Dantasの話を聴くことができた。WashUは次世代シークエンサーを用いたメタゲノム的研究、あるいは癌ゲノム研究の最先端を走る研究機関の一つである。Dantasはまさにライジングスターの趣のある(たぶんインド系だと思うが)、若くて野心的な研究者である。最初のスライドで部下の顔写真が出てきたが、総勢24名の大所帯である。最後のスライドでは研究費の調達先が出ていたが、計10機関程の助成を受けているようである。おそらく給料だけで年間百万ドル近くの予算を使っているのだろう。

話は多岐にわたっていたが、要点をまとめて記す。

1.Metagenomic approachでは、培養して得られた耐性遺伝子よりもより多くの耐性遺伝子が見出される。
 培養できる菌は全体のごく一部なのでこれは当然である。またそこで得られた耐性遺伝子は、未知(新規)のもの、または既知のものとは異なる配列の割合が高い。したがって、環境中あるいは正常菌叢に存在する薬剤耐性遺伝子の 一部が病原細菌(これらはかなりの部分がProteobacteriaに属する)に取り込まれて臨床的な問題を引き起こすわけである。ここで 演者は新たに開発されたソフトウェア(Resfams (1))を用いることにより、これまでの検索ソフト(BLAST)よりも、格段に耐性遺伝子の検出率を向上させたことを述べていた。
(ちなみに著者は特定の場所、あるいは身体部位に存在する耐性遺伝子の総体をresistomeと呼んでいたが、この語が誰によって造られたかは私は知らない。)

2.薬剤耐性遺伝子は、抗生物質に曝露されないヒトでも見出される (2)
先進国では抗生物質を投与されていないヒトでも相当な数の耐性遺伝子が見出される。それらの耐性遺伝子は周囲の人々、あるいは環境に由来すると考えられる。すなわち少なくとも一回は抗生物質に曝されているわけである。これに対して“ヒトは抗生物質に曝露される前から耐性遺伝子を持っているのではないか?”という疑問もある。これに答えを出すために、南米ベネズエラに暮らすヤノマミ(Yanomami)族から耐性菌と耐性遺伝子の検出を試みた。ヤノマミ族はこのときまで西洋文明と接触した記録がない。したがって抗生物質に曝露されたこともないはずである。驚くことに、多数の耐性遺伝子が検出された。この中には合成薬(モノバクタム)に対する耐性遺伝子すら含まれていた。

3.古い時代の土壌中にも耐性遺伝子が存在する (3)
2と同様、人跡未踏の土壌中からの耐性遺伝子の検出が試みられた。カナダの極地の地下にある5,000年前に凍った永久凍土からは、アミノグリコシド、β-ラクタム剤、テトラサイクリンの耐性遺伝子が見出された。したがって、薬剤耐性遺伝子がヒトの活動する前から自然界に存在していたことは明らかである。

4.土壌中の薬剤耐性遺伝子は比較的容易にヒト病原菌に移る (4)
土壌から見出された薬剤耐性遺伝子の構造の詳細をヒト病原菌から見出されたものと比較したところ、耐性をコードしている部分のみならず、その他の部分、例えば薬剤耐性の水平伝達を支配する領域(transposase等)もきわめてよく保存されていることが判った。このデータから、土壌菌から病原菌への伝播はある頻度で起こり、しかもその時期は比較的最近の出来事であると考えられた。(但し、具体的な頻度については明示されなかった。)


この一連の話を聴いて真っ先に思い出したのは、ペニシリン耐性菌が出現したのは薬が市場に出る前、臨床試験の最中であったという、たいへん重い事実である。
 
最後に演者は世界的に使用されている抗生物質•抗菌薬の大部分が家畜用に使用されている事実を指摘し、この状況を改善してゆくことの重要性を述べていた。


もとよりこれらの仕事はメタゲノム的アプローチによるものであり、これらはいわゆる実験生物学ではない。しかし、この手法の圧倒的な力を我々は認識する必要があると思う。このようなスタイルには生物学の伝統にしたがったディシプリンは不要である。したがって、次世代シークエンサーを用いたビッグデータ的研究手法は”後発”の研究機関がトップに追いつくためには都合の良い方法である。米国内ではWashUが、世界的には中国がこの分野に力を入れている。後発の機関(国、日本も含まれる)がこうした研究を進めてゆくために必要なことは何か? これについては稿を改めて論じてみたい。

メタゲノム的研究には二つの側面があると思う。一つは網羅的な大量のデータが得られること。もう一つは得られた大量のデータから現象を総合的に見られることである。事象を認識する方法に、分析と総合があるが、現在はこのような総合的な手法が優勢であるような時期なのだと思う。