Monday, July 27, 2015

Jun Kaneko 金子潤の”彫刻”




金子潤 Jun Kaneko という彫刻家がいる。市内の Dixon Gallery and Garden で展覧会をやっていたので入場無料の土曜日の午前中に行ってきた。

彫刻といっても一般にイメージされるような彫刻ではない。用いる素材は陶器(セラミック)なのである。陶器のアートというと、日本では陶芸のイメージが強い。陶芸とは伝統的な素材と焼き方に従って、主に食器や花器のような器を作る営みである。そこで陶芸作品に親しむにはそれらの器を入手して棚に飾るか、日常的、または特別な機会にそれらを使用するということになる。

金子の陶器というのは何かの役に立つわけではない。それは抽象芸術の範疇に入る。金子の作る像は何しろサイズが大きい。高さが2m以上になるものがざらにある。当然一体の重量も相当なもので、大きいものでは2トン以上にもなる。多くのものが人の頭部の形をしている。これが様々なデザインに彩色されている。彩色はおしなべて明るい色調だ。









今回の展覧会場は、市内の閑静な公園地区にある庭園である。ここにある広大なスペースにそれぞれにふさわしいような場所に作品が設置されている。おそらくこの金子の作品群は、それぞれ単体で見てもたいした面白みはないように思う。また屋内に置くには大きすぎる。たぶんこうした庭園に散在するようにインストールすることを想定しているのであろう。




目を惹いたのはタヌキの像である。他にも日本の伝統的デザインから着想を得たと思えるような作品もあった。人の頭部の作品も形態的には短頭型、すなわちアジア人(自分?)をモデルにしているようである。


笏(しゃく)のような形
アジア人(日本人)がモデル?

全部で30体ほどあっただろうか。何しろ相当な作品数でこれを全てネブラスカ州オマハ(Omaha, Nebraska, 金子のアトリエがあるところ)から運搬するのもかなりの費用がかかったものと思われる。

金子潤という作家は1,942年名古屋の生まれ。米国に渡ったのは1,963年。ロスアンゼルスの Chouinard Art Institute で美術を学んだ。本来絵画(二次元の普通の絵画)を志したのだが、ちょうど適当な先生がいなかったのでセラミックの彫刻家についたのだった。作風についてはここにいくつかの写真を掲げたが、いずれもサイズの大きな作品群でとても普通の美術館に収まるようなものではない。今回のような庭園や広場に設置するのがふさわしいものである。

金子自身はこうした自身のスケール感に重要性を見出している。このスケール感は広いアメリカ、しかも平原の中西部でこそ花開いたのだと思う。

オマハにはとても大きな工房があって近所の人たちは何かの工場だと思っているとのことである。たしかに今回展示されていた作品群を作り、保管するためには相当の規模の施設が必要であろう。オマハは大都市でもなく、そこに芸術家のコミュニティーがあるわけでもない。そこは妻の Reeのホームタウンだったのだ。

ただ、今回の展示会で考えたのは、このオマハという場所が米国のちょうど真ん中にあって、どこかに自分の作品を搬送するにはたいへん便利な場所だということだ。(数年前の映画 Up in the Air” (2,009) 
舞台がオマハであった。この映画の主人公は人員整理を請け負う会社で働いていて、要請に応じて全米のどこにでも赴いて余剰人員の整理、すなわちクビを言い渡す仕事をしていた。映画はフィクションだがこうした業種にも便利な場所なのだろう。)

金子は本来の創作活動のみならず、最近はオペラの衣装をデザインしたりしている。サンフランシスコ・オペラの“魔笛”はその例である

さらに金子夫妻はオマハに領域をまたいだアートの活動を支援するスペースを設立した

どこまでもスケールが大きい。



Saturday, July 25, 2015

Double-muscled pigs 筋肉を増やしたブタ

筋肉の量が増えるブタを中韓グループ(ソウル国立大学と延辺大学)が開発した  [Cyranoski, 2,015]。これとは別に英国と米国のグループも同様のウシとヒツジの作出に成功した [Proudfoot et al., 2,015]。両者ともTALENを用いている。これらの家畜で行われた遺伝子改変は、すでに従来型の育種で得られたウシでみられた遺伝子変異を新しい gene editing 方を用いて短時間で作成したので、いわゆるトランスジェニック動物とはまったく異なる。

おそらくこの流れは止めることはできない。同様の手法で既に無角のウシや、アフリカ豚コレラウイルス(African swine fever virus) に抵抗性のブタが作られている。問題は各国の規制がどうなるかであるか、である。すでに最近の記事で、米国ではCRISPRなどの信頼性の高いgene editing法を用いた遺伝子改変生物に関しては従来法による場合よりもより緩い基準を適用する方向に動いていることを紹介した。ドイツ政府も同様に考えている。

中国での食肉消費量は莫大なので、 このブタの認可が待たれている。また実際に開発に携わった韓国側の研究者は、このブタが中国で最初に認可されるであろうと予想している。

さてこの筋肉の多い (double-muscled) ブタである。研究者たちは横紋筋の量を抑制する遺伝子 (myostatin, MSTN) TALEN法で失活させた。ふつうのブタのゲノムとの違いは数塩基対の欠失または挿入が起こっているだけである。Belgian blue cattleは筋肉の量が多いことで高い評価を得ているウシの品種だが、従来型の育種で出来上がったものである。このウシにはMSTN遺伝子に突然変異が入っている。したがって、中韓グループが作ったブタは従来型の育種の過程でいずれ見出された可能性がある。但し、この従来法では相当な時間がかかる。

ここで重要なのは、このブタの品種はBtナスのように本来持っていなかった遺伝子が導入されたわけではない。したがってこのようなブタは“異物”を体内で作るわけではない。安全性については従来法の育種で得られたものと同等と考えざるを得ない。操作の過程で偶発的に起こりうる予期していないゲノムの傷の可能性は次世代シークエンシングのデータを精査すれば排除できる。

今後このような作成原理に基づいた安全性の評価体系を作ってゆく必要があると思われる。
さて日本の対応は?


Thursday, July 23, 2015

古地図を見る


90度回転させて現代の地図と同じ方角配置にした

銀座の歩行者天国で古地図を買った。江戸の古い地図が年代ごとに揃えてあった。だいたい古いものが高価だったが、古くなるほど江戸の市域が小さくてつまらない。ちょうど手頃な値段だった160年前頃の地図を買った。

これを壁に貼って飾りにしようと考えていたのだが、いざ額に入れてみるとこの地図が意外と面白いことに気がついた。地名や藩屋敷の名前が場所によって向きが違っていて統一性がないと思っていたのだが、すべては真ん中の江戸城が上になるように文字が入っているのだ。 
溜池
江戸城を除く大きな区画のほとんどが藩屋敷であるのも江戸らしい。こういう都市は江戸だけである。寺だらけの京都は好対照である。現在外掘り通りの赤坂見附と虎ノ門の間に溜池という場所があるが、ここには実際に溜池があった。現在墨田川沿いにある墨田公園は水戸藩下屋敷であった。東大の本郷キャンパスが加賀屋敷であったことはよく知られているが、これより北の千駄木から北は畑地か雑木林であったらしい。
水戸藩下屋敷(墨田公園)

加賀藩屋敷(東大本郷キャンパス)と不忍池

またこの地図の西に向かって、現在の新宿通りと青山通りが伸びているが、やはり現在の青山あたりで市域が終わっている。江戸の後期でも市域はこの程度であったらしい。国木田独歩の“武蔵野”は1,898年に書かれたものだが、独歩はその頃住んでいた澁谷村の風景を描いたという。この地図の約40年後でも渋谷はまだ田舎だったようだ。

江戸の西端
だいぶ前に陣内秀信著、“東京の空間人類学”という本を読んだときに、東京の道路や区画が基本的に江戸時代に作られたものを踏襲しているということを知った。こうして地図を見てみるとそのとおりであることがよく分かる。しかしこの大枠は江戸幕府の都市計画に従ったものであり、その最大の功労者は徳川家康である。
(蛇足ながら、書名に”人類学”とあるが、この本は人類学の本ではない。)







Monday, July 20, 2015

“How I Got Converted to G.M.O. Food”

少し前(4月24日)のニューヨーク・タイムス (NYT) に遺伝子組み換え作物 (GMO) をバングラデシュで普及させるプログラムに参加した経験をもつ人物の記事が載っている (How I Got Converted to G.M.O. Food”)。この人物はもともと反 GMO 活動に参加していたが、やがて GMO を推進する側に考えを変えたという。この話を要約すると以下の通り。

バングラデシュでは政府機関(BARIによって害虫耐性ナス (Bt Brinjal)が開発され、これが小規模農家で試験的に栽培されている。このナスは殺虫性タンパクを作る細菌由来の遺伝子を組み込んだものなので、正確には殺虫性ナスと呼ぶのが正しいのかもしれない。この導入遺伝子も導入手法自体も既知のもので新規性はない。この品種で期待されるのは、大量の殺虫剤を使用する必要がないので、農家の生産費用の削減と殺虫剤による生産者の健康被害が防げることである。農家は虫害を防ぐために一回のシーズンに140回も殺虫剤を散布する必要があり、このための健康被害は農村地帯での主要な問題なのだ。ところが現地の新聞では、このBt には殺虫効果がなく、害虫の跋扈のためにナスが枯死してしまったという記事が出た。実際に現地に行ってみると、ナスはよく実り、これまでの2倍の収穫量があったという。さらに市場では殺虫剤を使っていないナスというのでやや高い値段で売れたということで、実際は良いことづくめであったという。

どうやら真相は、反 GMO 活動家による虚偽の情報にもとづいた記事が作られたらしいことがわかってきた。今のところ、農家にとって良いことづくめに見えるBtナスの普及を妨げるのはどのようなグループか? 現実には途上国におけるGMO の栽培の試みはこれが最初の例であり、この件の成功は大きな試金石となる。実際、インド、フィリピンでは議会での反 GMO ロビー活動により GMO の栽培は凍結状態になっている。

この NYT 記事の筆者、Mark Lynas は英国出身でもともと反 GMO 活動家であった。実際英国内では栽培中の作物を引き抜いたりする実力行使にも参加していたというから、この人は生半可な反 GMO 主義者ではなかったはずである。しかしその後、気候変動の研究者となり、この研究活動を通じて疑問を持つことにいたった。一人の人間が一方で pro-scientificな活動(地球温暖化説の肯定)を行い、他方で anti-scientificな活動(反GMO)を続けることに矛盾を感じるようになったという。筆者は“人の活動による地球温暖化は事実である”ことと、“GMO は安全である”という二つの科学的事実をともに認めることにしたのだという。

Lynas によると、アフリカ諸国の GMO 禁止はただ一つの論文に基づいているという。それはフランスで行われた研究で、ラットを用いて GMO が癌を起こしたというものである。この仕事は多数の不作為のために撤回されている。インチキ論文だったのだ。

反 GMO 活動はアフリカ各国での  GMO の導入を妨げていて、その結果生産性が低いまま食料が高騰し、人々の栄養不良を招いているという。ここでも大きな役割を果たしているのはグリーンピースである。グリーンピースはビタミンA不足を防ぐゴールデン・ライスの普及も妨害している。

科学・技術では科学者と一般市民の間で評価が違うのがふつうだが、GMO の評価においてはそのくい違いが甚だしい。Lyan は社会に広まっているこのような誤解を解消するべく、GMO に関する真の情報を発信しようとしている

GMO の開発はモンサントのような多国籍企業が、その財力にものを言わせて発展途上国に売りつけて利益を吸い上げようとしているという構図が広まっている。これが GMO = evil という先入観を作り上げた大きな理由だと考えられる。しかし今回紹介したようなBtナスやゴールデン・ライスは非営利団体(後者はマニラにある国際イネ研究所 (IRRI)が作出したものであり、これらの普及によって誰かが莫大な利益を得るわけではない。このナスの普及活動はコーネル大学と BARI の非営利の共同プロジェクトで、資金源も米国政府機関 (USAID) である。大事なことは、ますます深刻化しつつある食料供給の不足、農業従事者の貧困からの脱却をどう解決してゆくか、これらの難題に真摯に答える努力をしてゆくのが必要ではないだろうか? “真摯に答える”とはデータにもとづいた (evidence-based) 合理的判断を下すということである。

Btナスの導入に反対している市民グループの主張もあげておく。それよると、バングラデシュ付近はナスの原産地とされ、多数の栽培品種が見られる。ここでは数百年にわたって248品種ものナスが、ナス農家による自家採種によって維持されてきたという。Btナスの導入はこのような多様な在来品種の減少(ないしは絶滅)を促すことが危惧されるということである。


しかしこのような在来品種の減少は、GMO の導入によらずとも、在来型の品種改良で作出された優れた栽培品種の導入でも起こりうることである。現実的な解決策を考えると、現地の農家は最良の品種(この場合はBtナス)を導入することで生活の質を改善すること、およびこれとは別に公的機関が在来種の品種の維持を行うというのが妥当な線ではなかろうか? 


こうすることで現在の人々の幸福(ナスの生産)と、将来の人々の利益(遺伝子資源の保存)の両方が達成されると私は考える。