三週間前のことになるが、GSK のワクチンプログラムの人が招待セミナーで話をした。演題を正確に覚えていないが、”ワクチンにおけるパラダイムシフト”のようなタイトルであった。演者の Jeffrey Ulmer は
Novartisのワクチン部門にいたが、部門ごとGSKに譲渡されたので現在の所属はGSKである。
話はこの20−30年間のワクチンの発達史の概略から始まり、最近のstructural biology をベースにした抗原の選定等の話が総論としてあった。4年前の同じ演者による概説をYoutubeで見ることができる。この時の話では組み替え型のRNAウイルスをトピックとしていた。実際にGSKが標準的にウイルスとして使っているのはalphavirusである。
組み替え型ウイルスの最大の問題点はワクチン株が人または家畜に予期せず感染してしまう可能性があることであろう。
最近の流れとしてDNAワクチンがあったが、この延長線上にRNAワクチンがある。今回の講演の後半部分は改良型のRNAワクチンの紹介に費やされた。GSKのRNAワクチンは組み替えワクチンで用いられていたのと同じくalphavirusをベースにしている。このウイルスはゲノム核酸として+鎖一本鎖RNAを持っている。すなわち細胞に導入してやるとmRNAとして機能する。
このRNAを用いることの利点はいくつかある。以下列挙する。
(1) RNAは細胞質に到達するだけでタンパク発現が起こり,核に到達する必要がない。
(2) プラスミドDNAでは低頻度だがゲノムDNAへの組み込みが起こるが、RNAではこの心配がない.
(3) 免疫惹起能を持っている配列のみを発現させることができる。(特にこの点は前回紹介したような問題を避ける上で重要である。)
(4) 細胞性免疫が誘導される。(HIV、ヘルペス等では重要)
(5) RNA の調整法は確立されており、費用もたいしたことはない。
演者のグループはalphavirusの一部をワクチンの標的微生物の感染防御抗原遺伝子と置換した例を示した。alphavirusは自らのゲノムを複製するためにRNA-dependent RNA polymerase (RDRP) がゲノム上にコードされている。この遺伝子産物(ポリメラーゼ)はRNAを取り込んだ細胞の中でalphavirusのゲノムRNAを複製するので、この組み替え体RNA分子は細胞内で増幅されることになる。そこでこのようなRNAをself-amplified
mRNA (SAM) と呼んでいる。
さてSAMを実際にワクチンとして用いるとしても裸のRNAを注射するわけにはいかない。血漿や組織中に RNase があるからである。そこで実用上の最大の問題は、いかにして体内のRNase からRNAを守るかということになる。さらにSAMがワクチンある以上、徐放的な組織内への放出を促すようなアジュヴァントを準備してやる必要が有る。
GSKは既にMF59と呼ばれるlipid
nanoemulsion (LNE) のアジュヴァントを確立している。しかしこれは基本的にタンパク抗原用であって、核酸には不向きである。そこでMF59に陽性荷電をもつ脂質を加えてやることによって新たなlipid nanoparticle (LNP) アジュヴァントを開発した。この脂質とRNAを特殊な条件で混合してやると、RNA を含んだ LNP ができる。
ひとたびこの方式でのワクチン開発がうまく行けば、 対象病原体が違っていてもRNAの物性は同じなので共通のプロトコールを用いることができる。演者のグループは異なる実験動物と、異なる病原体についてこのSAM/LNPの効力を調べて公表している。
インフルエンザのパンデミーのことを考えてみればよいが、毎回の流行が起こってから流行している型に対するワクチンを生産するのではその年の流行には間に合わない。しかしRNAワクチンの場合は必要な塩基配列さえ特定できればきわめて短時間でワクチンが出来てしまうのだ。
今のところ好都合な話ばかりのようだが、RNA生産の段階に多少難があるように思える。前述の論文ではマウス,ウサギ、それにアカゲザルを用いている。このうちアカゲザルには一回に75 ugのRNAを2回筋注している。計150 ugのRNAである。アカゲザルの体重は6−10 kgなので、単純計算によりヒトに対してはこの約8倍程度のRNAが必要になる。すなわち1.2 mg/人である。
さらに試算を進めてもよいのだがやめておく。けっこう大量のRNAを酵素的に生産するための費用は高いのだろうか、安いのだろうか?
ただ病原体が違っていても同じ生産ラインが使えるのはメリットである。安全性についても常に同じシリーズの試験をやればよい。