Tuesday, November 4, 2014

“虫を放して虫を滅ぼす“【2】


不妊虫放飼法


“不妊虫放飼法(Sterile Insect Technique)“というのがある。ある地域から害虫を駆逐するための強力な手段である。米国農務省(USDA)のニップリング(E. Knipling)によって理論化された方法で、簡単にいうとX線照射などによって不妊化した雄虫を野外に放出し、その地域にいる雌と交尾させることで、孵化できない卵を産ませる。この不妊雄の放出を何世代か繰り返すことで、その昆虫種を特定の地域から根絶しようとするのである。

実際にニップリングは1,954年にカリブ海のキュラソー島(オランダ領)でラセンウジバエの駆除に成功している。(キュラソー島は日本プロ野球で活躍しているバレンチン選手の出身地として知られている。)次いでフロリダ半島、ロタ島(マリアナ諸島)でも同じハエの駆除に成功している。日本でこの方法が初めて試みられたのは、1,971~76年に行われた沖縄県久米島におけるウリミバエの駆除である。”虫を放して虫を滅ぼす“(中公新書、1981年刊、残念ながら絶版)は、この本土復帰前後の沖縄での農林省(現農水省)のプロジェクトを率いて成功に導いた伊藤嘉昭(当時農技研、後名古屋大教授)による記録である。

ウリミバエ(melon fly, Bactrocera cucurbitae)というのはウリ類の果実に産卵することで、農産物の生産に損害を与える害虫である。このハエが台湾から琉球列島に侵入したのはそう古いことではなく、1,920年頃から始まって約60年かけてゆっくりと北上して種子島に到達している。このハエを駆逐するために伊藤らは不妊虫放飼法に着目した。農林省の予算が不妊放飼法と平行して合成フェロモンによる雄虫の誘殺法にもつけられたので、ウリミバエ雄に対して誘因作用のあるキュールアを用いて雄虫の絶滅を試みた。しかし抵抗性の虫が選択的に増えてきたのでこの方法を放棄して、不妊虫放飼法に集中することになった。

不妊虫の作成は野外で捕獲されたハエを人工飼育することから始まる。採取した卵を孵化させ、蛹にする。この蛹を60CoX線照射装置で照射して不妊化する。羽化した成虫を野外に放って雌と交尾させるわけである。理屈はまことにシンプルだが、実際にこれを事業として行うには様々な困難をともなう。特に著者が度々強調していることは、過度の“家畜化”を避けるということである。ハエを大量に得るには、高密度で飼育することが近道であるが、飼育密度が一定限度を越えると屋内では正常に交尾できるが、野外では野生雄との競争に負けるというのである。

事業の実際は、石垣島でハエの大量増殖を行い、蛹を那覇に運んでX線照射する。これを久米島に運んで正中を野外に放出する。久米島は面積59 kmの小さな島である。その小ささゆえにハエの根絶のためのモデル事業として採択されたのだ。しかし伊藤らはパイロット試験として、さらに小さな久高島を選び、ここでウリミバエが実際に根絶できることを先に示している。最終的に週200~400万匹の不妊成虫を放飼することによって、1,976年遂に久米島のハエは根絶された。

本書はいかにしてこの大事業を実現したかが、細部に至まで描かれており大規模プロジェクト遂行のモデルとして読むことができる。特にプロジェクトリーダーである伊藤が人的組織をいかに作り上げるか、および事業の進行に伴って人が成長することを強く意識したことを強調している。プロジェクトチームに属する個々人の責務を決めつつ、研究者としての自由裁量を与えるというのは、組織の成長が個人の成長に支えられるという確信に基づくのであろう。

伊藤はこのような昆虫の大量飼育を基盤とした害虫根絶法を“昆虫工学(Insect Engineering)”と呼ぶことを提唱している。同じ頃、米国では分子生物学が興隆しつつあったが、この初期の分子生物学の対象は未だ大腸菌とそれに寄生するファージにとどまっていた。当時、伊藤の視野に遺伝子組み換えを用いた人工的に“作られた”昆虫を野外に放つといったアイデアがあったかどうか不明である。これは後にカルタヘナ議定書で規定されるLMO (Living Modified Organism) そのものである。それは次の世紀になって実現することになる(次回)。

ウリミバエ根絶事業は全沖縄に拡大されて現在も継続されており、この概略は動画で見ることができる。大雑把に全体を理解するためには大変よくできた動画だと思う。このなかには伊藤本人も登場し、いかに生態学的方法に基づいた基礎データが重要であるかを述べている。うまくゆかなかったときに、基礎データに基づいてその原因を探り、次に生かそうというわけである。

実験一発で 大成功することはあり得ないのである。



付記(11月23日)

全南西諸島(沖縄および奄美群島)におけるウリミバエの根絶は1,993年に達成されたという。


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