Wednesday, May 6, 2015

薬剤耐性遺伝子のエコロジー:メタゲノム的アプローチ

メタゲノムの話をもう一つ。

一昨日研究所内のセミナーで、耐性遺伝子のエコロジカルな挙動に取り組んでいるワシントン大学(セントルイス、通称WashU)のGautam Dantasの話を聴くことができた。WashUは次世代シークエンサーを用いたメタゲノム的研究、あるいは癌ゲノム研究の最先端を走る研究機関の一つである。Dantasはまさにライジングスターの趣のある(たぶんインド系だと思うが)、若くて野心的な研究者である。最初のスライドで部下の顔写真が出てきたが、総勢24名の大所帯である。最後のスライドでは研究費の調達先が出ていたが、計10機関程の助成を受けているようである。おそらく給料だけで年間百万ドル近くの予算を使っているのだろう。

話は多岐にわたっていたが、要点をまとめて記す。

1.Metagenomic approachでは、培養して得られた耐性遺伝子よりもより多くの耐性遺伝子が見出される。
 培養できる菌は全体のごく一部なのでこれは当然である。またそこで得られた耐性遺伝子は、未知(新規)のもの、または既知のものとは異なる配列の割合が高い。したがって、環境中あるいは正常菌叢に存在する薬剤耐性遺伝子の 一部が病原細菌(これらはかなりの部分がProteobacteriaに属する)に取り込まれて臨床的な問題を引き起こすわけである。ここで 演者は新たに開発されたソフトウェア(Resfams (1))を用いることにより、これまでの検索ソフト(BLAST)よりも、格段に耐性遺伝子の検出率を向上させたことを述べていた。
(ちなみに著者は特定の場所、あるいは身体部位に存在する耐性遺伝子の総体をresistomeと呼んでいたが、この語が誰によって造られたかは私は知らない。)

2.薬剤耐性遺伝子は、抗生物質に曝露されないヒトでも見出される (2)
先進国では抗生物質を投与されていないヒトでも相当な数の耐性遺伝子が見出される。それらの耐性遺伝子は周囲の人々、あるいは環境に由来すると考えられる。すなわち少なくとも一回は抗生物質に曝されているわけである。これに対して“ヒトは抗生物質に曝露される前から耐性遺伝子を持っているのではないか?”という疑問もある。これに答えを出すために、南米ベネズエラに暮らすヤノマミ(Yanomami)族から耐性菌と耐性遺伝子の検出を試みた。ヤノマミ族はこのときまで西洋文明と接触した記録がない。したがって抗生物質に曝露されたこともないはずである。驚くことに、多数の耐性遺伝子が検出された。この中には合成薬(モノバクタム)に対する耐性遺伝子すら含まれていた。

3.古い時代の土壌中にも耐性遺伝子が存在する (3)
2と同様、人跡未踏の土壌中からの耐性遺伝子の検出が試みられた。カナダの極地の地下にある5,000年前に凍った永久凍土からは、アミノグリコシド、β-ラクタム剤、テトラサイクリンの耐性遺伝子が見出された。したがって、薬剤耐性遺伝子がヒトの活動する前から自然界に存在していたことは明らかである。

4.土壌中の薬剤耐性遺伝子は比較的容易にヒト病原菌に移る (4)
土壌から見出された薬剤耐性遺伝子の構造の詳細をヒト病原菌から見出されたものと比較したところ、耐性をコードしている部分のみならず、その他の部分、例えば薬剤耐性の水平伝達を支配する領域(transposase等)もきわめてよく保存されていることが判った。このデータから、土壌菌から病原菌への伝播はある頻度で起こり、しかもその時期は比較的最近の出来事であると考えられた。(但し、具体的な頻度については明示されなかった。)


この一連の話を聴いて真っ先に思い出したのは、ペニシリン耐性菌が出現したのは薬が市場に出る前、臨床試験の最中であったという、たいへん重い事実である。
 
最後に演者は世界的に使用されている抗生物質•抗菌薬の大部分が家畜用に使用されている事実を指摘し、この状況を改善してゆくことの重要性を述べていた。


もとよりこれらの仕事はメタゲノム的アプローチによるものであり、これらはいわゆる実験生物学ではない。しかし、この手法の圧倒的な力を我々は認識する必要があると思う。このようなスタイルには生物学の伝統にしたがったディシプリンは不要である。したがって、次世代シークエンサーを用いたビッグデータ的研究手法は”後発”の研究機関がトップに追いつくためには都合の良い方法である。米国内ではWashUが、世界的には中国がこの分野に力を入れている。後発の機関(国、日本も含まれる)がこうした研究を進めてゆくために必要なことは何か? これについては稿を改めて論じてみたい。

メタゲノム的研究には二つの側面があると思う。一つは網羅的な大量のデータが得られること。もう一つは得られた大量のデータから現象を総合的に見られることである。事象を認識する方法に、分析と総合があるが、現在はこのような総合的な手法が優勢であるような時期なのだと思う。
           





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