Svante Pääbo については前回の尾本恵市の本の紹介のときにふれた [6/23/15]。本書は昨年出版されたパーボの自伝("Neanderthal Man: In Search of Lost Genome", ISBN-13: 978-0465054954
ISBN-10: 0465054951)である。
本書の印象は?というと、面白かったの一語に尽きる。何がどう面白かったか、何回かに分けて書くことにする。
Svante Pääbo はドイツで活躍するスウェーデン出身の人類
学者である。発掘された化石やミイラからDNAを抽出し、その塩基配列を決定することによって進化を論じる分野を古遺伝学 paleogenetics という。Pääbo は古遺伝学の先覚者である。おそらく分子生物学による人類の起源に関する研究では史上最大級の貢献をした人物だと思う。優れた科学者の自伝がある研究分野の歴史そのものであることが多いが、この "Neandertal Man" も例外ではない。
学者である。発掘された化石やミイラからDNAを抽出し、その塩基配列を決定することによって進化を論じる分野を古遺伝学 paleogenetics という。Pääbo は古遺伝学の先覚者である。おそらく分子生物学による人類の起源に関する研究では史上最大級の貢献をした人物だと思う。優れた科学者の自伝がある研究分野の歴史そのものであることが多いが、この "Neandertal Man" も例外ではない。
Svante Pääbo はスヴァンテ•パーボと呼ぶ。äはドイツ語的には“エ”に近いのだが、スウェディッシュでは口を大きく開けた“ア”になるらしい(と職場のスウェーデン人に教わった)。但しこれは母親の姓で、母はエストニア人である。両親は幼いときに離婚したので Pääbo は父親のことをほとんど知らないという。父親はプロスタグランディンの発見で 1,982 年のノーベル医学生理学賞を受賞したスネ・ベリストローム Sune Bergström である。母親も生化学者である。したがって、Pääbo は実の父親のことをほとんど知ることなく育ったが、血統的には科学者のサラブレッドというにふさわしい。実際本書を読み進めてゆくうちに、この人物がいかに研究の才能に恵まれているかがわかってくる。
回想はミトコンドリア DNA(mtDNA)断片の塩基配列決定から始まる(第一章)。この DNA はネアンデルタール人の骨から抽出されたのだ。ラボでこの仕事に取り組んでいたポスドクの電話で夜中に呼び出される 。学校で習うとおり、ミトコンドリア DNA は染色体 DNA とは異なり、母親のみから受け継がれる。したがって、染色体 DNA とは異なり減数分裂の時の父方、母方の間でのシャフリングがおこらない。ふつう博物館の標本はその採取の過程でヒト(研究者や作業者)の DNA で汚染され、かつ汚染した DNA のほうが質的、量的に勝ることが多い。このような状況でネアンデルタール人のDNAを同定するためにはコピー数の多いmtDNAを検出するのが得策だと考え、PCR でヒトのmtDNA をプライマーにしてネアンデルタールのmtDNAの増幅を試みたのだ。
このとき既に、Rebecca Cann、Allan WilsonらによるミトコンドリアDNAの解析により、すべての現生人類のmtDNA はたった一人のアフリカにいた女性に由来すると考えられていた(この女性をミトコンドリア•イヴと呼ぶ)。このミトコンドリア・イヴから始まった人類は世界各地に拡散したというのだ (Cann et al., 1987)。Pääbo らの決定したネアンデルタールに由来する(とかなりの確立で推定される)mtDNA の配列は、379塩基付中28カ所にわたって現生人類のものとは異なっていた。これに対してかなり広範囲(アフリカ、アジアを含む)の現生人類のミトコンドリア DNA 同士では、同じ領域で僅か4箇所しか違いがなかったのである。それでこれをネアンデルタール人特有の配列と断定したのである。
Pääbo の真骨頂はこの後の作業である。実験研究に 従事している方にはおなじみだと思うが、科学的事実はただ一回の実験結果で確定するわけではない。その結果の解釈が正しいとするための確認実験、対照実験とさらにそれらの繰り返し実験を行うわけである。いわゆる良い科学雑誌はそのような“押さえの”データを大量に要求するのである。そのことは昨年報道された日本での科学不正(に分類される)事件の報道で一般にも多少は認識されたかもしれない。ともあれ、Pääbo らは一連の“押さえ”の最後の決定打として、同じ結果が他のラボの独立した実験で確認されるという事実を加えることにした。この確認実験は別の実験者によって採取された同一個体のネアンデルタール人の骨から米国の研究室(ペンシルバニア州立大)で行われた。
Pääbo の真骨頂はこの後の作業である。実験研究に 従事している方にはおなじみだと思うが、科学的事実はただ一回の実験結果で確定するわけではない。その結果の解釈が正しいとするための確認実験、対照実験とさらにそれらの繰り返し実験を行うわけである。いわゆる良い科学雑誌はそのような“押さえの”データを大量に要求するのである。そのことは昨年報道された日本での科学不正(に分類される)事件の報道で一般にも多少は認識されたかもしれない。ともあれ、Pääbo らは一連の“押さえ”の最後の決定打として、同じ結果が他のラボの独立した実験で確認されるという事実を加えることにした。この確認実験は別の実験者によって採取された同一個体のネアンデルタール人の骨から米国の研究室(ペンシルバニア州立大)で行われた。
この発見で重要なことは、mtDNA で見る限りネアンデルタール人は現代人とは明らかに異なっていたことである。ネアンデルタール人の骨は主に欧州で発掘され、アフリカでは発見されていない。ネアンデルタール人と現生人類は数万年前、ともに欧州に住んでいながら異なる起源を有していたわけである。データそのものはとても小さなものだが、“人類アフリカ単一起源説”を支持するものであった。もしネアンデルタール人を含む人類の祖先と思われる人々と他の我々の祖先が各地で交雑してるならば、現生人類のDNA中にネアンデルタール人の配列が見出されるはずである。つまり現生人類のゲノム配列には地域的な特徴が現れるはずであり、欧州におけるその特徴はネアンデルタールのDNAの残存である。しかしデータの示す答えは”否”であった。
私はここに優れた科学の特徴のひとつの典型をみる。科学的営為とは、でき限り少ない労力で学説を覆したり、新たな理論の可能性を見出そうとすることなのだ。すなわち先駆的研究は常に一点突破なのである。このPääboの研究で否定されようとしていた学説は、“人類の多起源説”であった。
私はここに優れた科学の特徴のひとつの典型をみる。科学的営為とは、でき限り少ない労力で学説を覆したり、新たな理論の可能性を見出そうとすることなのだ。すなわち先駆的研究は常に一点突破なのである。このPääboの研究で否定されようとしていた学説は、“人類の多起源説”であった。
(続く)