Saturday, June 13, 2015

地球を4分の3周した稲【2】

アーカンソーに稲作が導入される以前から、既に米国南
部諸州(ルイジアナ、テキサスなど)では稲作が盛んに行われるようになっていた。 アーカンソー大平原博物館にはこの地で最初に稲作に成功したとされる人物の展示がある。それは Bill Hope という人で1,901年のことである(写真右、左上の小さい額)。

米国南部から中西部にかけて は夏の間は十分に気温が上昇する。問題は水の確保である。アーカンソー州というのは二つの地域に分かれていて、西は山地、東は平原である(図)。西の山地に降った水は、谷を流れ落ちて
ミシシッピ川の支流になるか、山裾から出てくる湧き水になるか、または山地からの水が伏流水となり、これは平原の地下水脈となる。そこで人々は地下水を汲み上げる効率のよい方法を使えば平原地域で水田開発が可能だと考えたのである。この稲作の試みは僅か23年の努力の結果、成功したのであった。下の写真は最初に収穫された籾である。

この稲作の成功の結果、それまでは大した産業のなかったアーカンソー州にそれまでに北部諸州に入植していた人々が移住してくるようになったという。このころは南北戦争が終わって3040年の頃であり、今と違って内陸部の人々はより良い暮らしを求めて盛んに移住している様子であった。アーカンソーで二番目に稲作に成功した John Morris という男は少し前にはネブラスカにいたのだが、生まれはウェールズ(ブリテン島)である。この頃アメリカの“西部”にいた人たちは未だ開拓者精神に富んでいたとみえる。

初めて収穫された籾
馬用のカンジキ

コメのコーナーには馬用の カンジキのような器具が展示されており泥田で馬を使役していたらしい(写真上)。その後、 関連技術の進歩に伴って稲作の形態も変化した。最大のものは馬から内燃機関への移行であった。こうしてアーカンソーの稲作は約100年間も重要な産業として続いてきた。現在でも東部アーカンソーにおける米作の地位は現在でも揺るぎないものである。小さな町の秋祭りがRice Festivalと称され、町民総出の催しであったりする(写真はWeinerのライスフェティバル)。

パレードの先頭を飾るチアガール

稲藁の荷台に乗っている


米料理のスタンドは無い!

稲作の歴史を説明している

1,940年代の脱穀機械。デモ運転が行われた。

米国の農業が大規模であることはよく知られている。だい
たい2マイル四方の土地が一軒の農家の所有だと考えてよい(写真左)。この土地を耕作するのに日本では見たことのないような大型の農用機械を使うのである。肥料・農薬散布は小型の飛行機を用いる。この地域では米、綿花、それに米が主要作物である。コメ農家は転作することが困難であるという。その理由は稲作用の農機器が他の作物のために共用できないからだと聞いた。

収穫されたコメは主に輸出に回される。最大の輸出先はメキシコである。集荷された米は梱包会社(Ricelandなど)によって精米される。その過程で出てくる潰れた米粒はビール生産用として出荷される(写真下)。米国の大手ビール会社はだいたい米を補助的な糖源として用いている。このため米国製ビールは欧州ではビールと認定されないことがある。

左から二番目がビール用に出荷される

 さて前述のアーカンソー大平原博物館で小冊子を見つけて購入した(値6ドル)。タイトルは “BEGINNINGS of the RICE INDUSTRY of Arkansas” J. M. Spicer, 1,964)である
(写真左)。興味深いことに、この小冊子にはアーカンソーの稲作の歴史はもとより、北米の稲作の歴史も記載されている。それにとると、米国の稲作の歴史は17世紀に始まる。当時の北米は合衆国独立の約200 も前であった。稲は偶然によってもたらされた。1,686年サウスカロライナ州のチャールストンCharlestonに一隻のニューイングランド船が入港した。この船はインド洋のマダガスカルを出発して英国リバプールへ向かう途中であったが、大西洋を北上中に嵐に遭遇したのだ。船は破損して航行に支障をきたしていたのでチャールストンに寄港した。この船にはマダガスカルで収穫された稲籾の入った小さな袋が積んであった。この袋は地元でプランテーションを経営するDr. Henry Woodwardのもとに残された。チャールストン付近の海岸線は広い範囲で湿地帯となっている(写真)。この湿地帯に土地を所有する
Woodwardは稲の栽培を試みたのである。米国南部のサウスカロライナは暑い地域である。稲はこの土地によく適応し、稲作は成功する。やがてこの地域一帯が稲作地帯となる。さらに稲作は南部諸州に拡がり、遂にアーカンソー、ミズーリに至る(地図)。地図で最も濃い緑はアーカンソー州からミズーリ州南部に至るエリアである。


 稲が北米にもたらされた話の細部には異説もあるようだが、アメリカの稲はマダガスカルから来たのだ。
(続く)

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