金子潤 Jun Kaneko という彫刻家がいる。市内の Dixon Gallery and Garden で展覧会をやっていたので入場無料の土曜日の午前中に行ってきた。
彫刻といっても一般にイメージされるような彫刻ではない。用いる素材は陶器(セラミック)なのである。陶器のアートというと、日本では陶芸のイメージが強い。陶芸とは伝統的な素材と焼き方に従って、主に食器や花器のような器を作る営みである。そこで陶芸作品に親しむにはそれらの器を入手して棚に飾るか、日常的、または特別な機会にそれらを使用するということになる。
金子の陶器というのは何かの役に立つわけではない。それは抽象芸術の範疇に入る。金子の作る像は何しろサイズが大きい。高さが2m以上になるものがざらにある。当然一体の重量も相当なもので、大きいものでは2トン以上にもなる。多くのものが人の頭部の形をしている。これが様々なデザインに彩色されている。彩色はおしなべて明るい色調だ。
目を惹いたのはタヌキの像である。他にも日本の伝統的デザインから着想を得たと思えるような作品もあった。人の頭部の作品も形態的には短頭型、すなわちアジア人(自分?)をモデルにしているようである。
金子潤という作家は1,942年名古屋の生まれ。米国に渡ったのは1,963年。ロスアンゼルスの Chouinard Art Institute で美術を学んだ。本来絵画(二次元の普通の絵画)を志したのだが、ちょうど適当な先生がいなかったのでセラミックの彫刻家についたのだった。作風についてはここにいくつかの写真を掲げたが、いずれもサイズの大きな作品群でとても普通の美術館に収まるようなものではない。今回のような庭園や広場に設置するのがふさわしいものである。
金子自身はこうした自身のスケール感に重要性を見出している。このスケール感は広いアメリカ、しかも平原の中西部でこそ花開いたのだと思う。
オマハにはとても大きな工房があって近所の人たちは何かの工場だと思っているとのことである。たしかに今回展示されていた作品群を作り、保管するためには相当の規模の施設が必要であろう。オマハは大都市でもなく、そこに芸術家のコミュニティーがあるわけでもない。そこは妻の Reeのホームタウンだったのだ。
ただ、今回の展示会で考えたのは、このオマハという場所が米国のちょうど真ん中にあって、どこかに自分の作品を搬送するにはたいへん便利な場所だということだ。(数年前の映画 ”Up in the Air” (2,009) の舞台がオマハであった。この映画の主人公は人員整理を請け負う会社で働いていて、要請に応じて全米のどこにでも赴いて余剰人員の整理、すなわちクビを言い渡す仕事をしていた。映画はフィクションだがこうした業種にも便利な場所なのだろう。)
ただ、今回の展示会で考えたのは、このオマハという場所が米国のちょうど真ん中にあって、どこかに自分の作品を搬送するにはたいへん便利な場所だということだ。(数年前の映画 ”Up in the Air” (2,009) の舞台がオマハであった。この映画の主人公は人員整理を請け負う会社で働いていて、要請に応じて全米のどこにでも赴いて余剰人員の整理、すなわちクビを言い渡す仕事をしていた。映画はフィクションだがこうした業種にも便利な場所なのだろう。)
金子は本来の創作活動のみならず、最近はオペラの衣装をデザインしたりしている。サンフランシスコ・オペラの“魔笛”はその例である。