Thursday, July 16, 2015

“Neanderthal Man: In Search of Lost Genomes”(読書ノート)【5】:衝撃のあとがき

終わりまで読み進んできて、Pääboがいかに貪欲に分子人類学を切り開いてきたかがわかる。本書で印象的なことは著者の過剰なまでのストレートさだ。実際Pääboは自らの研究の道のり、さらには自らのプライヴァシーに至るまできわめて率直に語っている。こうした率直さは本書の大きな魅力である。

Pääbo自身の研究もさることながら、彼によって確立された分子人類学は大変なスピードで進歩している。すでにネアンデルタール人のゲノム情報はデータベース上にあるので、誰でもその配列を調べることができる。パーボは終章の近くで、ヒトを特徴付けるゲノム上の配列は何かと考える。

考古学的証拠から、ネアンデルタール人が既に道具を使っていたことがわかっている。ところが同じ時間単位でみると、ヒトの道具は著しく進化しているのに、ネアンデルタールの道具は全くといっていいほど進化が見られない。この程度(数万年)の時間単位で劇的な生物学的な進化(すなわち塩基置換に基づく脳機能の進化)が起こったとは考えられないので、このヒトにおける道具の進化とは世代を越えた道具に関する知恵が蓄積されたのであろうと推定される。すなわち”文化”の成立である。“文化”とはヒトとそれ以外を分ける重要な性質であろう。(但し、道具を使う”文化”の萌芽はサルにも認められるが。)

このようなヒト特有の性質を支配する遺伝子を特定することに興味が向くことはごく自然である。ヒトの高度の文化を支えるものは言葉である。FOXP2遺伝子はヒトの言語障害の患者で突然変異が認められ、言語機能に重要な役割を果たしていると考えられている。FOXP2タンパクのアミノ酸配列をヒトと類人猿で比較してみたところ、ヒト特有の配列があることがわかった。ちなみにネアンデルタール人のFOXP2はヒト型である。PääboらはマウスのFOXP2タンパクを調べたところ、ヒトタンパクと相当の類似性が認められた。そこでヒト特有の配列になるように遺伝子を改変したマウスの作出を試みたのだ。

この研究は早くも2,009年のCellに掲載されている [Enard et al., 2,009]。このマウスの解析は引き続き行われ、本書の原稿が書かれた後にも継続されている。昨年PNASに発表された論文では、このヒト型FoxP2を持ったマウスは学習能力と線条体の可塑性が向上していたという [Schreiweis et al., 2,014]。著者らの結論は、ヒト型FoxP2の進化がヒトの持っているdeclarative and procedural learningの能力の獲得に寄与したとする。この結論を額面通りに受け取るならば、ヒト型FOXP2の獲得がヒトの持っている特徴のかなりの部分を決定していることになる。(私はこのような神経学的解析には疎いので細部に対する論評は控える。また、ネアンデルタール人もヒト型FOXP2を持っているのでこの遺伝子の違いがヒトとネアンデルタールの違いを説明することにはならないと思うが。)

普通の研究者の発想では次の作業仮説として、“ではこのヒト型FOXP2をチンパンジーで発現させてやれば類人猿からヒトへの進化を直接再現できるではないか?”と考える。これは既に実験人類学と呼ぶべきものである。

この点HarvardGeorge Churchはまことに大胆な提案をしている。ヒトとネアンデルタールで異なる配列はわかっているので、ヒトのゲノム上で当該遺伝子をネアンデルタール型の配列に換えてやったヒト胚からネアンデルタール人を作出すれば良いというのである。このための費用すら算出してあり、3千万ドル(現在のレートでは約36億円)で可能であると言っている。この金額はかなりいい線をいっていると思うが、無茶な話である。ヒト胚がだめならチンパンジーの胚を使えば良いとまで言う [Regenesis]。実験の成否に関わらず、生まれてきたヒト(またはヒトもどきの)の“人権”はどうなるのであろうか?

余談ながら、我々はこのような貪欲な研究者の欲求をどのように見守るか、幅広い分野の人々の議論とコンセンサスが必要である。既に最近胚操作を施したヒトの実験が中国で行われ、このため多くの研究者が自主的にこの問題に対処するための議論の場を設けようとしている [Cyranoski and Reardon, 2,015]。さらに研究予算を出すNIHはこの問題への対処方針を公表している。この辺りは素早い。しかし中国の研究をNIHがコントロールすることは不可能だ。かつて遺伝子組換えが登場してきたときに開催されたアシロマ会議の胚操作版である。 アシロマ会議から40年、組換えDNA実験が“怪物”を生み出すことはなかった。しかしそれは研究対象の生物がヒトや類人猿ではなかったからである。時代は変わりつつある。

このような最近の研究の進展については本書のわずか3ページのあとがきに記載されている。

前に述べたように、本書は著者が驚くべき率直さで記述しているので読み進めるごとに感銘を受ける。英語も平易なので幅広い読者に勧められる。28ドルは安い買い物だ。忙しい方はこのあとがきだけでも読むことをお勧めする。

No comments:

Post a Comment